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大阪地方裁判所 昭和56年(ワ)2601号 判決 1985年10月21日

原告

近藤一男

近藤優美子

近藤雅視

近藤佳記

右四名訴訟代理人

森島忠三

岡恵一郎

丸山恵司

被告

学校法人大阪医科大学

右代表者理事

廣瀬藤介

右訴訟代理人

大槻龍馬

谷村和治

安田孝

右訴訟復代理人

平田友三

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告近藤一男(以下「原告一男」という。)に対し、金二〇八五万六四二五円及び内金一八九六万六四二五円に対する昭和五五年一一月二二日から、内金一八九万円に対する昭和五六年四月二四日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告近藤佳記(以下「原告佳記」という。)、同近藤優美子(以下「原告優美子」という。)、同近藤雅視(以下「原告雅視」という。)に対し、それぞれ金一六八四万〇九五〇円及び各内金一五三一万〇九五〇円に対する昭和五五年一一月二二日から、各内金一五三万円に対する昭和五六年四月二四日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告一男は、近藤多津子(以下「多津子」という。)の夫であり、原告佳記、同優美子、同雅視は、いずれも多津子の子である。

(二) 被告は、医科大学その他の教育施設を設置することを目的とする学校法人であり、肩書地において付属病院(以下「被告病院」という。)を経営しているものである。

2  診療契約の締結

多津子と被告は、昭和五五年一一月一五日、多津子の脳腫瘍(以下「本件腫瘍」という。)摘出手術を行う旨の診療契約を締結した。

3  多津子の死亡事故の発生及びその原因

(一) 多津子は、昭和五五年一一月一五日から本件腫瘍の手術加療のために、被告病院に入院していたが、同月二〇日から二一日にかけて、被告病院において、手術指導医太田富雄教授(以下「太田教授」という。)、術者前田某、船津某両医師(以下それぞれ「前田医師」、「船津医師」という。)、助手(主治医)川北慎一郎医師(以下「川北医師」という。)、麻酔科指導医稲森耕平医師(以下「稲森医師」という。)、麻酔科担当医原某、有沢某、茂松某各医師(以下それぞれ「原医師」、「有沢医師」、「茂松医師」という。)により(なお、以下手術指導医、術者、助手(主治医)を合わせて「脳外科医」と、麻酔科指導医、麻酔科担当医を合わせて「麻酔科医」といい、脳外科医と麻酔科医を合わせて「本件担当医」という。)本件腫瘍摘出手術(以下「本件手術」という。)実施中、同月二一日に死亡した。

<以下、省略>

理由

一請求原因1(当事者)、2(診療契約の締結)の事実は、当事者間に争いがない。

二そこで、まず多津子の診療経過について検討する。

多津子が、昭和五五年一一月一五日から本件腫瘍の手術加療のために、被告病院に入院していたが、同月二〇日から二一日にかけて、被告病院において、手術指導医太田教授、術者前田医師、船津医師、助手(主治医)川北医師、麻酔科指導医稲森医師、麻酔科担当医原医師、有沢医師、茂松医師により本件手術実施中死亡したことは、当事者間に争いがない。

右争いのない事実、<証拠>によれば、以下の事実が認められる。

1  多津子は、昭和五五年八、九月ころから全身倦怠感を覚え、同年一〇月半ばころからは計算や文字の間違いに気づくようになり、同年一一月に入つてから左手の動きに異常を感じ、同月一四日からは左半身の麻痺を自覚するようになつたので、同月一五日被告病院脳神経外科で受診した。

被告病院脳神経外科は、多津子の症状(頭痛、顔面を含む左片麻痺、意識障害)を確認し、眼科の診察を受けさせる(眼科の診察の結果は左半盲(左半分が全く見えない状態)が認められた。)とともに、同月一五日、同月一七日にコンピューター断層撮影(同月一五日は造影剤を注入して撮影した増強撮影、同月一七日は造形剤を注入せずに撮影した単純撮影)その他単純レントゲン撮影、左側椎骨動脈撮影などの脳血管撮影を実施し、とりわけコンピューター断層撮影の結果から多津子には直径六センチメートルの脳腫瘍(本件腫瘍)が右側脳室三角部にあること、本件腫瘍は元来出血性に富む髄膜腫であり、現に造影剤を注入して撮影した増強コンピューター断層撮影でも高吸収値を示している(全体が著しく白く写つている。)から本件腫瘍は出血性に富むものであること、本件腫瘍周辺の脳は腫瘍による圧迫のためにコンピューター断層撮影写真上低吸収域を示し(黒く写つている。)、広範囲な脳腫瘍が存在していること、従つて本件腫瘍のために生命の危険が切迫した状態であること、本件腫瘍は良性腫瘍(腫瘍全体を摘出できた場合には治癒する可能性がある腫瘍)であることを確認した。そして被告病院脳神経外科は昭和五五年一一月一六日にその所属医師全員による症例検討会で検討した結果、本件腫瘍を摘出する手術(本件手術)を実施することに決定したが、その際同時に、本件腫瘍は非常に出血しやすい腫瘍であり、かつ本件は腫瘍の部位が側脳室の中であつて、出血した場合に血液が脳室内に充満して髄液の循環を阻止し、それによつて合併症が起こることから、出血量を少なくすることができる体位である座位を選択することが妥当であり、さらに座位で手術を実施した場合には脳を切開して手術部位に到達するのが容易であることを考慮して、本件手術を座位で実施することに決定した。右決定後被告病院脳神経外科は、本件手術を座位で実施することを被告病院麻酔科に連絡し、右麻酔科でも検討会を開き、麻酔科としてどのような手術体制で臨むかなどを検討した。

2  多津子の主治医である川北医師は、本件手術の前日である昭和五五年一一月一九日、多津子の夫である原告一男に対し、被告病院の医局のシャーカステンの前で、多津子の造影剤を注入した増強撮影のコンピューター断層撮影写真を見せながら、本件腫瘍について、本件腫瘍は良性のものであるが、非常に深い場所にあつて大きさも相当大きくまた出血性に富む腫瘍である旨説明したうえで、本件手術の危険性についても、特に空気塞栓そのものを採り上げて説明したわけではないが、本件手術によつてかえつてその症状が悪くなることがあり、また、本件手術により心臓が悪くなつたり、肺が悪くなつたりして手術中あるいは手術直後に死亡する可能性も絶対にないわけではない旨説明し、また本件手術で採用する体位についても、特に座位を採用することを強調したわけではないが、座位を採用すること自体は説明した(診療録にも、昭和五五年一一月一九日の欄に、家族に対し、良性の腫瘍ではあるが深い場所にあり、手術時間も長時間を要する大手術であること、現在の症状特に半盲などの悪化、また手術の危険性、一般合併症などにつき説明した旨の記載がある。)。多津子自身も、本件手術が多津子の体内の脳腫瘍摘出手術であることは川北医師などから説明されて認識していた。

3  本件手術は、本件担当医(手術指導医太田教授、術者前田医師及び船津医師、助手(主治医)川北医師、麻酔科指導医稲森医師、麻酔科担当医原医師、有沢医師及び茂松医師)によつて実施され、本件腫瘍の摘出手術自体は脳外科医が担当し、手術中の全身管理は麻酔科医が担当した。麻酔科医は、昭和五五年一一月二〇日午前八時一五分に多津子に対して麻酔を実施し始めたが、本件手術中に空気塞栓が発生する危険性があるので、空気塞栓を発見するためのモニターとして、①ドップラー法(そのプローグの位置は右胸骨の上にある。)、②食道聴診器、③聴診器(②と③は、いずれも持続的に心音と呼吸音をモニターしている。)、④中心静脈圧の測定(中心静脈カテーテルにより測定する。)、⑤心電図観察、⑥観血的動脈圧測定、⑦血液ガス測定(⑥と⑦は、左足背動脈にカテーテルを挿入して実施している。)を採用し、体内に空気が流入したときに空気を吸引排除する目的で右中心静脈カテーテルをレントゲン撮影を見ながら右心房の適当な位置に設置した(なお、中心静脈カテーテルの本来の目的は中心静脈圧の測定であるが、本件手術の場合中心静脈カテーテルのコックに常に注射器(容量二〇ccのディスイボの注射器)をつなぎ、流入した空気を吸引排除する必要があるときのみ注射器で流入した空気を排除できるようにしている。)。ところで、麻酔科医は、本件手術については、終末呼気炭酸ガス濃度の測定は採用せず、また、①のドップラー法についても、無線周波によつてきわめて短時間機械が作動を停止したり、発生音が非常に小さくなるようにする内部機構を備えた器械を用いていない。

同日午前一一時から、前田医師、船津医師の執刀により、本件手術が開始された。本件手術は、予めの決定のとおり座位で実施され、川北医師は、右前田、船津両医師の執刀を補助した。前田医師と船津医師は、頭蓋骨の切断まで執刀し、頭蓋骨切断面から空気が流入しないように、川北医師と三人で頭蓋骨切断面に骨ろうを塗つたり、頭皮部分は頭皮クリップで全部止め、頭皮を翻転する際にも、その部分にも生理食塩水でぬらしたガーゼをかけて、それらの部分から空気が流入しないようにした。頭蓋骨の切断が終わつた段階(同日午後零時三〇分ないし午後一時ころ)において、太田教授が手術室に入り、以後の硬膜の切断から本件腫瘍の摘出を終えるまでの過程を、太田教授の執刀により実施した。太田教授は、脳ベラで視野を確保しながら、本件腫瘍をループ(電気メス)で少しずつ摘出していつたが、本件腫瘍の摘出手術中体位変換、麻酔薬の作用、出血、脳腫瘍近傍の手術操作などの原因がなんら存在しないのにもかかわらず、血圧が急に低下したために、麻酔科医において、同日午前一一時一五分、同日午後四時二〇分に中心静脈カテーテルにより血液の吸引を試みた。しかし、いずれも空気は吸引されず、同日午後七時三二分に血液吸引を試みた際に初めて空気が血液と気泡が入り混じつた状態で約二〇cc吸引排除された。その後も同様に体位変換、麻酔薬の作用、出血、脳腫瘍近傍の手術操作などの原因がなんら存在しないのにもかかわらず、血圧が急に低下した午後八時四五分、同九時四〇分、同一〇時一〇分の各時点で、さらに同一一時二〇分ないし二五分にかけて、中心静脈カテーテルで血液の吸引を試み、そのうち午後八時四五分には血液と気泡とが入り混じつた状態で約二〇ミリリットルの空気が吸引排除され、また午後一一時二〇分ないし二五分にかけても空気が吸引排除されたが、このときの吸引排除された空気の量は不明である。

麻酔科医は、右三回にわたつて中心静脈カテーテルによつて空気が吸引排除されるたびに、脳外科医に空気が多津子の体内に流入していることを連絡した。脳外科医は、右連絡を受けるたびに、術野に生理食塩水を注射器でかけただけで手術を続行し、バッグ加圧によりあるいは頸動脈を圧迫することにより静脈圧を上昇させて空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈について電気凝固による止血を行おうと試みることはしなかつた。麻酔科医は、同日午後六時二七分ころに動脈血の酸素ガス分圧が低下したので、バッグ加圧を一回行つているが、これは静脈圧を上昇させるだけの目的で行つたにすぎず、右破綻静脈を発見する目的で行つたわけではない。また、麻酔科医は、第一回目に空気が吸引排除された際に、午後七時三七分ころから五〇分ころまで約一三分間笑気の投与を中止したものの、再び笑気の投与を再開し、午後七時四五分ころに三単位、同八時ころにやはり三単位笑気を投与した。

なお、本件手術中には前記中心静脈カテーテルによつて血液の吸引排除が試みられた際以外にも同日午後一時二〇分、同二時〇五分、同五時一〇分、同五時三五分、同五時五五分、同六時三〇分、同六時四五分、同七時〇五分、同九時一〇分に血圧の低下がみられるところ、右血圧の低下は、中心静脈圧の上昇、動脈血の酸素ガス分圧の低下(同日午前一一時三〇分一三六・九、同日午後一時三一分一〇五・六、同二時五五分一〇三・二、同五時一五分八二・四、同六時一〇分六八・八、同六時二〇分七五・二、同六時四八分六八・七、同七時六四・九、同七時四八分二三七・〇(この時点で高い値がでているのは、その直前に純酸素を投与したからである。)同八時一五分七〇・七、同九時八二・二、同一〇時一〇分七六・二、なお各単位はmmHg、動脈血の炭酸ガス分圧の上昇(同日午前一一時三〇分二四・六、午後一時三一分四二・二、同二時五五分三〇・八、同五時一五分四六・九、同六時一〇分二七・五、同六時二〇分二三・三、同六時四八分三九・一、同七時四三・一、同七時四八分二九・五(この時点で低い値がでているのは、その直前に純酸素を投与したからである。)同八時一五分三三・三、同九時二八・九、同一〇時一〇分二四・二、なお各単位はmmHg)を伴つているが、そのうち午後一時二〇分、同五時五五分、同九時一〇分の血圧の降下はアラミノン(昇圧薬)の効果消退期と一致する。

また、本件手術においては、笑気対酸素の割合を一対一とする混合ガスを用いて一回換気量五五〇ml、換気数一分間一二回という条件で調節呼吸が行われ、前記のとおり、第一回目の空気塞栓(同日午前一一時一五分)から回復した同一一時三〇分には、動脈血の酸素ガス分圧が一三六・九mmHg、動脈血の炭酸ガス分圧が二四・六mmHgという良好な血液ガス所見を示しているが、動脈血の酸素ガス分圧は同日午後六時ないし一〇時には一〇〇mmHgに低下している(ただし、同八時以降一回換気量は七〇〇mlに増加されている。)。同六時二七分ころには、前記のバッグ加圧及び終末呼気陽圧付加が行われているが、動脈血の酸素ガス分圧及び炭酸ガス分圧ともにかえつて悪化している。笑気の投与を中止して純酸素のみを投与した同日午後七時三七分ないし五〇分の間には、中心静脈カテーテルから空気が吸引排除されたこととも関係して血液ガス所見は動脈血の酸素ガス分圧が二三七mmHg、炭酸ガス分圧が二九・五mmHgに著しく改善されている。

4  本件腫瘍は、同日午後一一時ころに全部摘出され、その後は閉頭過程に入つていたところ、同日午後一〇時一〇分には、動脈血の酸素ガス分圧が七六・三mmHg、動脈血の炭酸ガス分圧が二四・二mmHgであつたのが、午後一一時一五分には動脈血の酸素ガス分圧が五六・一mmHg、動脈血の炭酸ガス分圧が四八・二mmHgと著しく悪化し、同二五分には血圧が二五mmHgに低下し、心室性期外収縮が出現し、さらに中心静脈カテーテルから空気は吸引排除され、同三〇分には血圧が一〇mmHgに低下し、心室性頻拍症となり、非開胸心マツサージが開始されたが、同三七分には心臓停止に至つている。右心臓停止に至つた際、脳外科医は、多津子の体位を仰臥位に変換し、アラミノン、ボスミン、プロタノール、メイロン、ハイドロコートンの投与、心マッサージ及び体外式電気的除細動術(四回)を実施し、これによつて、心拍が再開し、午後一一時四二分には血圧が九五mmHgに上昇し、同四五分には心電図洞調律になつて血圧が二一五mmHgに上昇したので、心マッサージを中止し、仰臥位のまま閉頭過程を続行し、翌二一日の午前零時五〇分には閉頭を終了した。心マッサージ中に投与した昇圧薬により上昇していた血圧は次第に下り、右終了後一〇分後の午前一時には一三五mmHgとなつている。笑気の投与は、昭和五五年一一月二〇日午後一一時二五分に中止しているが、心拍再開後に右のとおり閉頭過程に入つたために、翌二一日午前零時一三分に笑気の投与を再開している。

右閉頭終了後、本件担当医は、多津子を回復室に収容し、その回復を図つたが、回復室に収容された時点(二一日午前一時五分)で既に多津子の意識レベルは三−三−九度方式のⅢの3で、深昏睡であり、自発呼吸はなく、瞳孔は散大し、光反射は認められない状態であつた。回復室に収容されてからは、血圧維持のために最初はアラミノン(一般名メタミノール)、次にドノバン(一般名ドバミン)、最後にボスミン(一般名エピネフリン)というように次第により強力な昇圧薬が必要となつていき、さらにボスミンさえ次第に増量せざるを得なくなり、ついにはボスミンにさえ反応しなくなり、二一日午前一〇時四五分ころに発生した回復室入室後一回目の心停止前後には、大量のラシックス(一般名フロセミド)の投与にもかかわらず、時間尿がわずか一〇ないし五ml(最初だけ二〇ml)となり、血圧も低値を示し、典型的な低心拍出量症候群を呈し多津子は、同日午後二時七分ころに発生した回復室入室後二回目の心停止によつて同一七分に死亡した。

なお、本件手術中本件腫瘍からの出血は非常に少なく、出血量はわずか二〇〇ccであり、輸血量は、脳腫瘍摘出術における平均輸血量が一五〇〇ccであるのに比較してきわめて少量の四〇〇ccにとどまつた。

また、本件手術では、ルーペ(電気メス)が使用されたため、その雑音の影響でドップラー法はそれほど明確な反応は示さなかつた。

以上の事実が認められる。

右2で認定した事実に対し、本人尋問の結果中には、原告一男は、本件手術の前日である昭和五五年一一月一九日川北医師から本件腫瘍や本件手術について説明を受けたことはなく、原告一男以外の多津子の家族も同様である。同月一七日午後四時ないし五時ころ川北医師から看護婦詰所の隣の別室において、原告佳記、同原告の妻、原告優美子、同雅視とともに写真(検乙第三号証でも同第四号証でもない。)を見せられ、本件腫瘍の大きさは直径約一〇ミリメートルのパチンコ玉ぐらいの大きさであり、軽症であるから手術を済ませれば早く退院できると説明を受けた旨の、また原告優美子本人尋問の結果中には、原告優美子は、右一七日に被告病院所属の医師から本件腫瘍ないし本件手術について説明を受けたことがなく、前記一九日の夜原告一男の不在中に、川北医師に原告佳記の妻とともに呼び出されて、看護婦詰所前の廊下で、立つたままの状態で、レントゲン写真(検乙第三号証でも同第四号証でもない。)で本件腫瘍の位置を示されたうえ、本件腫瘍は小豆大で少し大きいが、良性のものであり、取り除けば多津子は元気になる、万一手術で間違いがあつても視野が狭くなるというものにすぎないと説明を受けた旨、右認定に反する供述部分が存在する。しかし<証拠>によれば、川北医師は、本件腫瘍が直径約六センチメートルの巨大な脳腫瘍で生命の危険が切迫した状態であり、かつ本件手術が空気塞栓の発生する危険がある大手術であると認識していたと認められ、右のように認識していた川北医師が、ことさら本件腫瘍の大きさ及び症状について虚偽の事実を告げて本件手術が安全なものであることを述べたとはたやすく考えることができないので、右各供述部分は、その内容自体にわかに措信することができないものであり、しかも、原告一男は昭和五五年一一月一九日に川北医師から本件腫瘍や本件手術について説明を受けたことはなく、原告一男以外の他の家族も同様であり、同月一七日川北医師から原告一男、同佳記、同原告の妻、原告優美子、同雅視とともに説明を受けた旨の原告一男の供述部分と、原告優美子は右一九日に原告佳記の妻とともに川北医師から説明を受けたものであり、右一七日には被告病院所属の医師からなんら説明を受けたことがないという原告優美子の供述部分とは相互に矛盾しており、また本件腫瘍についてその病状や手術の危険性についての説明はきわめて重要であつて、医師が患者である多津子以外の者に説明するとすれば、特別の事情がない限り、多津子の夫である原告一男にまず説明するのが通常であり、本件においては、全証拠によつても右特別事情が認められないのにもかかわらず、原告優美子の供述にあるように川北医師が当該患者である多津子の夫である原告一男の不在中にあえて最初に原告優美子と原告佳記の妻に説明したというのは、かなり不自然なものであり、前掲乙第一号証(診療録)の昭和五五年一一月一九日の欄の記載及び証人川北慎一郎の証言に照らしても、原告一男及び同優美子の右各供述部分はやはり措信しがたいものというほかない。他方、同じく右2で認定した事実に関し、証人稲森耕平の証言中には、本件手術の麻酔科担当医である茂松、有沢両医師が、術前回診を行つた際に、直接多津子に対し、本件手術では座位という特殊な体位を採用するので術野から空気が入るかもしれないという説明を行つた旨の供述部分があるが、右供述部分は、茂松、有沢両医師から両医師が右内容の説明を行つた旨の報告を受けたという伝聞によるものであり、また術野から空気が入つた場合の身体に与える影響についてどのような説明を行つたのかについての明確な供述がないなど不自然な部分を多分に含んでいるので、にわかに措信することはできない。

次に、右3で認定した事実に対し、証人稲森耕平の証言中には、麻酔科医は、本件手術の全過程において、右認定した時点以外でも中心静脈カテーテルにより血液の吸引を試みたが、それらの時点ではいずれも空気が吸引されなかつた旨、右認定に反する部分があるが、前掲乙第一号証によれば、本件手術に関する麻酔記録中には、中心静脈カテーテルにより血液の吸引を試みたが空気が吸引されなかつた場合も逐一「air①」と明示されていることが認められ、それによれば、右3で認定した時点(麻酔記録に記載されている時点)以外の時点では中心静脈カテーテルにより血液の吸引を試みたことがなかつたと推認するのが相当というべきであるから、証人稲森耕平の証言中の前記部分は措信することはできない。また、同証人の証言中には、同じく右3で認定した事実に対し、第一回目に中心静脈カテーテルにより空気が吸引排除された午後七時三二分ころにバッグ加圧により静脈圧を上昇させた旨右認定に反する部分があるが、やはり前掲乙第一号証によれば、診療録の本件手術に関する麻酔記録中には、昭和五五年一一月二〇日午後六時二五分の時点にバッグ加圧と記載されているのみで、午後七時三二分ころにはバッグ加圧を加えた旨の記載がないことが認められ、右認定事実によれば、午後七時三二分ころにバッグ加圧は加えていないと推認するのが相当であるから、右証言部分も措信することはできない。

三次に、本件腫瘍の位置、程度、性格(特に出血性の程度)、特徴について検討する。

<証拠>及び鑑定人高倉公明の鑑定の結果によれば、以下のとおり認定判断することができる。

1  本件腫瘍は、右側脳室内三角部に位置し、前後径約七センチメートル、横径約五ないし六センチメートル、周辺が不規則な凹凸を示した球形に近い巨大な腫瘍である。本件腫瘍による圧迫のために正中線は、右から左方へ著しく偏位しており、右側脳室前方は極度に圧排されて右方へ偏し、同側脳室後方は右後方に圧排されると共に、髄液流通障害のため、髄液が貯溜して拡大されている。本件腫瘍周辺の脳は、腫瘍による圧迫のためにコンピューター断層撮影写真上低吸収域(黒く写つている部分)となつており、広範囲の脳浮腫の存在が明らかである。本件腫瘍の大きさと周辺脳に対する圧迫の程度は、本件腫瘍が著しく進行した状態であり、生命の危険が切迫している状態であることを示している。

2  腫瘍に血液が少なければ、コンピューター断層撮影を実施した際に、正常脳と同等の吸収値を示す(正常脳と同等の濃度に写る)のに対し、本件腫瘍の場合、コンピューター断層撮影写真のうちの単純撮影写真でやや高吸収値を示しており(白く写つている。)、増強撮影写真で全体が著しい増強効果を示しており(明瞭に白く写つている。)、かつ左側椎骨動脈撮影写真において、不規則な円形の腫瘍血管影が明瞭に摘出されているという特徴があるが、これは本件腫瘍はかなり血管に富んだ出血性の腫瘍であることを示している。

3  本件腫瘍は、コンピューター断層撮影写真の所見、左側椎骨動脈撮影などの脳血管撮影の所見、患者の年齢(五二歳)、性(女性)、病歴から、右脳室内髄膜腫と考えることが妥当であり、またコンピューター断層撮影写真、病理解剖の結果などから組織学的に混合型(髄膜上皮型と線維芽細胞型の混合型)であると考えられる。

以上のとおり認定判断することができる。

もつとも、本件腫瘍の性格について、前掲乙第一号証によれば、本件手術の手術記録中には、本件腫瘍は黄白色であり、大部分はavasuculorな(血管に乏しい)腫瘍であまり出血は強くなかつた旨の、右認定に反するかのように読めないわけではない記載も存在することが認められること、また既に二で認定したとおり本件手術中の出血量がきわめて少なかつたことが一応問題になる。しかしながら、証人太田富雄、同川北慎一郎の各証言によれば、腫瘍が出血性に富むといつても腫瘍の全ての部分が血管であるというわけではなく、部分的には血管が存在しない部分も存在し、右手術記録中の本件腫瘍が黄白色であつた旨の記載は、本件手術中に最初に露出した本件腫瘍の表面の部分がたまたま血管が存在しない部分であつて黄白色であつたということを記載したにすぎないものと認められ、また、右手術記録中の本件腫瘍の大部分はavasuculorな(血管に乏しい)腫瘍であまり出血は強くなかつた旨の記載は、本件手術施行中の出血量が少なかつたことを表現するつもりで誤つて右のように記載したものであつて、本件腫瘍の性格を記載したものではないことが認められ、本件手術中出血量がきわめて少なかつたことも、後に認定するとおり、本件手術を座位で実施したことによるものであつて、本件腫瘍が出血性に乏しかつたからではないのであり、さらに、<証拠>によれば、脳外科手術を座位で実施した場合の平均出血量は六四〇mlとされていることが認められ、それに比べても本件手術中の出血量は少なかつたと考えられるが、前掲各証拠によれば、出血量は手術時間その他手術のさいの種々の条件によつて変動するものであり、本件手術の場合も手術のさいの条件の関係でたまたま座位手術の平均出血量より出血量が少なくなつただけであるにすぎないものと認められ、この点も本件腫瘍が出血性に乏しかつたことを意味するものではないということができる。従つて、本件手術記録中の右記載及び本件手術中の出血量がきわめて少なかつたことも、右認定判断を左右するものではないというべきである。

四次に、手術中の空気塞栓に対する一般的対応策について検討する。

<証拠>及び鑑定人稲田豊の鑑定の結果によれば、以下のとおり認定判断することができ<る>。

1  手術中の空気塞栓の早期発見方法について

(一)  手術中の空気塞栓に対する早期発見方法としては、①ドップラー法(空気塞栓が少量の場合は、一過性にレコードの上を針が右に横切るときに出る音に似たハイピッチの引つかくような音が、空気塞栓が大量の場合は、持続性のロウピッチのシャガレ声のような音がするといわれている。)、②終末呼気炭酸ガス濃度(空気塞栓の発生時には低下する。)の測定、③肺動脈圧(空気塞栓の発生時には上昇する。)の測定、④中心静脈圧(空気塞栓の発生時には上昇する。)の測定、⑤動脈圧(血圧)(空気塞栓の発生時には低下する。)の測定、⑥水車音(心音の変化)(空気塞栓の発生時には心音が水車音を発する。主に食道聴診器で聞く。)の測定、⑦心電図における変化(空気塞栓の発生時には心室性の種々の不整脈などの変化を示す。)の観察などのモニタリングがある。右各モニターの感度は、①ドップラー法が最も高く、右記載した①ないし⑦の順に低下していく。

(二)  ①の方法は、〇・一ないし〇・五mlの空気の検出すら可能といわれており、前記のとおり最も敏感な検出手段である。ただし、電気メスの使用により無線周波雑音干渉を受ける欠点がある。無線周波によつて、きわめて短時間器械が作動を停止したり、発生音が非常に小さくなるようにする内部機構が組み込まれた器械が開発されているが、未だ理想にはほど遠い状態にある。②は①が質的な診断法として優れているのに対し、その変化の度合により肺塞栓の程度を推定しうるという利点を有しており、量的診断法として有用であり、また変化の持続時間から塞栓の持続時間が推定できるし、七〇パーセント空気吸入排発試験によつて終末呼気炭酸ガス濃度が再び低下するようであれば、肺血管に空気が残存している証拠となる。③は、スワンガンツカテーテルにより測定され、空気塞栓量に比例して上昇するので、空気塞栓の重症度の評価にも役に立つ、④ないし⑦は、有用なモニターではあるが、既に大量の空気塞栓が発生したかなり遅い時期にはじめてそれらにより空気塞栓の発生を発見できるので、早期診断法としては多くを期待できない。

2  手術中に空気塞栓が発生した場合の対策について

手術中に空気塞栓が発生した場合には、①骨切断部に骨ろうを塗り込み、②術野を生理食塩水に浸し、③バッグ加圧により、または用手的にもしくは特殊な頸動脈圧迫装置を用いて頸動脈に圧迫を加えることにより、静脈圧を上昇させて空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈に対し電気凝固により止血を行い、④中心静脈カテーテルにより血中流入空気の排除を行う。そのうち、②の特殊な頸動脈圧迫装置はこれを開発した施設でさえ、座位手術の際にこれを常用しているかどうか不明である。そして、例えば、流入した空気が大きなガスポケットを作つており、そこにちようど中心静脈カテーテルの先端があれば、ほぼ完全に空気が排除できるが、持続的に小さい空気泡が入つてくると、中心静脈カテーテルの周囲のいろいろな道を通つて空気泡が流れることが関係し、空気泡の除去は困難であると考えられ、また現に空気塞栓の症状と水車音(水車音があるということは空気が一五ないし三〇ml体内に流入していることを示している。)が認められるにもかかわらず、中心静脈カテーテルによつて空気を吸引できなかつた症例が報告されており、ドップラー法で陽性である症例のうち中心静脈カテーテルによつて空気が吸引できたのは四〇パーセントの症例であるにすぎないという報告もあるので、④の方法により流入した空気の全てを吸引排除できるわけではないし、④の方法で空気が吸引できなかつたことから直ちに空気塞栓の発生を否定することもできないと考えられる。

空気塞栓が発生すれば、笑気は空気泡内に移行し、空気塞栓の害を三倍以上に増大させるので、笑気の投与を中止し、純酸素で過換気を行うべきであり、大量の空気塞栓が発生すれば、手術台を水平にするか、頭部を下げ、さらに左側臥位にして、右室流出路から空気を追い出し、心停止に至れば心肺蘇生術を行うべきである。

以上のとおり認定判断することができる。

もつとも、被告は、右の点について、ドップラー法は電気メスの使用によつて無線周波雑音の干渉を受けることがあり、この方法で異常音を感じたからといつて空気塞栓が発生しているとは断定できず、かつ右ドップラー法陽性例の四〇パーセントの症例でしか中心静脈カテーテルにより空気が吸引されなかつたとの報告例もそれがどのような条件下の手術についてのものであるか不明であるから、右報告例を根拠に中心静脈カテーテルにより血液が吸引されなくても空気塞栓の発生を否定しえないと考えるべきではなく、むしろ空気塞栓が発生すれば、常に中心静脈カテーテルにより血液を吸引した際に空気が吸引され、中心静脈カテーテルにより空気が吸引されない以上は空気塞栓が発生していないと考えるべきである旨主張する。しかしながら、前掲証拠によれば、そもそも理論的に中心静脈カテーテルにより血液が吸引されないからといつて空気塞栓の発生を否定することはできないものであつて、ドップラー法で陽性である症例である症例のうち中心静脈カテーテルによつて空気が吸引できたのは四〇パーセントにすぎないという報告は、単にそれを実証的に裏付ける一つの根拠であるにすぎないものであり、たとえば、空気塞栓の症状と水車音が認められるにもかかわらず、中心静脈カテーテルによつて空気が吸引できなかつたという報告もあることが認められるところであり、とくに鑑定人稲田豊の鑑定の結果によれば、鑑定人稲田豊は、ドップラー法は電気メスの使用によつて無線周波雑音の干渉を受けることを十分に考慮しながら、中心静脈カテーテルにより血液が吸引されなくても空気塞栓の発生を否定できないということを実証的に裏付ける一つの根拠として右ドップラー法の報告例を指摘したものであることが認められるのであるから、被告のドップラー法は電気メスの使用によつて無線周波雑音の干渉を受けることを理由とする右主張は失当であることが明らかである。

五次に多津子の死因について判断する。

前記二、四で認定した事実に、<証拠>及び鑑定人稲田豊の鑑定の結果によれば、以下のとおり認定判断することができる。

1  人体について、空気流入量に応じてどのような順序でどのような徴候、症候が出現してくるか明らかにした報告は公表されていないが、犬の実験例などから大量の空気塞栓が発生すれば、肺動脈本幹が完全にあるいはほぼ完全に空気で充満され、右心の急性過伸展が起こり、心循環停止が誘発されることは十分推測することができるとされている。

2(一)  体位変換、麻酔薬、出血、脳幹、脳神経近傍の手術操作などの原因が何ら存在しないのに、血圧が急に低下したため、中心静脈カテーテルにより血液の吸引が試みられたのは、昭和五五年一一月二〇日午前一一時一五分、同日午後零時四五分、同四時二〇分、同七時三二分(約二〇mlの空気を吸引排除した。)、同八時二〇分、同八時四五分(約二〇mlの空気を吸引排除した。)、同九時四〇分、同一〇時一〇分、同一一時二〇分ないし二五分にかけて(空気を吸引排除したがその量は不明である。)の九回である。このうち三回は空気が吸引排除されたので、空気塞栓の発生は確実である。また、残りの六回も、中心静脈カテーテルによつて空気が吸引排除できなくても、空気塞栓の発生は否定することができない。同日午後一時二〇分、同二時五分、同五時一〇分、同五時三五分、同五時五五分、同六時三〇分、同六時四五分、同七時五分、同九時一〇分にみられる血圧の低下も、そのうち午後一時二〇分、同五時五五分、同九時一〇分の血圧の低下が、それより先に投与された昇圧薬アラミノン(一般名メタラミノール、静注量は一ないし五mgで二分で効果が出現し、五分以内に最大効果を示し、効果は二五分間持続する。)の効果消退期と合致するということもあるが、中心静脈圧の上昇、動脈圧の上昇、動脈血の炭酸ガス分圧の上昇(動脈血の炭酸ガス分圧の上昇は麻酔薬の経時的効能低下による代謝亢進による酸素消費量の増大に起因するものではない。)を伴つており、笑気塞栓の発生が強く疑われる。また、笑気対酸素を一対一の割合とする混合ガスを用いて一回換気量五五〇ml、換気数一分間一二回という条件で調整呼吸が行われており、第一回目の空気塞栓(同日午前一一時一五分)から回復した同日午前一一時三〇分には、動脈血の酸素ガス分圧が一三六・九mmHg、動脈血の炭酸ガス分圧が二四・六mmHgと良好な血液ガス所見を示しているが、動脈血の酸素ガス分圧は同日午後一時ないし三時には一〇〇mmHgに減少し、同五時一五分には八二・四mmHg、同六時ないし一〇時には六ないし七〇mmHgに低下している(ただし、同八時以降一回換気量は七〇〇mlに増加されている)。同六時二七分ころにはバッグ加圧、終末呼気陽圧付加が行われているが、動脈血の酸素ガス分圧及び炭酸ガス分圧はともに悪化しており、機能的残気量減少や無気肺発生が低酸素血症の原因ではないことが疑われ、これを裏付けるように、胸部聴診でも異常がないことが確認されている。笑気の投与を中止して、純酸素のみ投与することにした同日午後七時三七分ないし五〇分の間には、中心静脈カテーテルから空気が吸引排除されたこととも関係して血液ガス所見は動脈血の酸素ガス分圧は二三七mmHg、炭酸ガス分圧が二九・五mmHgと著しく改善されている。以上の点から、午後五時以降にはかなりの頻度で空気塞栓が発生していることが確実である。

(二)  本件手術中に、空気が流入している静脈を発見しようとする試みが全くなされていないので、空気の流入部位を正確に認識することはできないが、執刀開始の約一五分後に最初の空気塞栓の発生を示唆する徴候があり、それ以後もたびたび空気塞栓を示唆する徴候、症状が出現し、そして閉頭にかかつた際に最大の空気塞栓が発生し、心停止に陥つていることからすれば、骨、筋肉の静脈、橋静脈、腫瘍内血管、硬膜切開縁の静脈などが空気流入部位である可能性が最も高いとみられる。本件手術中にどの程度の空気が多津子の体内に流入したかは全く不明であり、流入量を想像することすら不可能であるが、以上のことからすれば、中心静脈カテーテルにより実際に吸引排除された量よりは相当、あるいは非常に多量の空気が多津子の体内に流入したことは確実であり、血圧低下が特に顕著な(収縮期血圧が九〇mmHg以下に低下)エピソードが一〇回も発生しているので、相当多量な空気が多津子の体内に流入していることは確実である。

3  昭和五五年一一月二〇日午後一一時一五分に低酸素血症と高炭酸血症が認められること、同二五分に急速かつ高度に血圧が降下していること、同二〇分ないし二五分にかけて中心静脈カテーテルにより繰り返し少なくとも三回は空気が吸引排除されていることからみて、同三七分ころに発生した心停止が大量の空気塞栓によることは確実である。翌二一日午前一時五分に回復室に入室してからは、血圧維持のため次々とより強力な昇圧薬が必要となり、さらにそのうち最も強力な昇圧薬であるボスミンさえ次第に増量せざるを得なくなり、ついにはボスミンにも反応しなくなり、二一日午前一〇時四五分ころに発生した回復室入室後一回目の心停止前後には、大量のラシックスの投与にもかかわらず、時間尿がわずかとなり、血圧も低値を示し、典型的な低心拍出量症候群を呈し、同日午後二時七分ころに発生した回復室入室後二回目の心停止によつて死亡している。

以上のとおり認定判断することができ<る>。

右のとおり、多津子には、午後五時以降かなりの頻度で空気塞栓が発生し、中心静脈カテーテルにより実際に吸引排除された量より相当あるいは非常に多量の空気が多津子の体内に流入したことは確実であり、これによれば、その直接の死因は、急性心不全であり、右急性心不全は心停止にまで発展した重症の空気塞栓によつて誘発されたものであるということができる。

もつとも、被告は、多津子の死因は、長時間にわたる大手術によるさまざまな負担にその心臓が耐えられなくなつたことに帰着するものであり、心不全というべきであると主張し、その根拠として、中心静脈カテーテルにより、多津子の体内に流入した空気を流入の都度ほぼ完全に抜き取つたことを指摘しているが、前記四でみたとおり中心静脈カテーテルにより流入した空気の全てを吸引排除できるわけではなく、中心静脈カテーテルにより空気が吸引排除できなかつたことから直ちに空気塞栓の発生を否定することはできないのであるから、被告の右主張はその前提を欠いて失当である。

六そこで、本件担当医の過失の有無について検討する。

1  まず、原告らは、脳外科手術を実施するについて、座位以外の体位で手術を実施することが可能であり、かつ格別の不都合がない場合には、他の体位で手術を実施すべきであり、本件手術の場合は側臥位もしくは腹臥位で手術を実施することが十分可能であつたから、そのいずれかの体位で本件手術を実施すべきであつたにもかかわらず、本件担当医は右義務を怠り、安易に座位で手術を実施する場合の利点のみを追求するあまり本件手術を座位で実施し、結局多津子を空気塞栓によつて死亡させた過失がある旨主張し、さらに本件腫瘍は、元来出血性の乏しい性質の腫瘍であり、あえて空気塞栓の危険を冒してまで本件手術を座位で実施しなければならない必要性は皆無であり、この点において本件担当医が本件手術を座位で実施した過失は一層明白である旨主張する。

しかしながら、既に三でみたように、本件腫瘍は、出血性に富む腫瘍であるから、本件腫瘍が出血性に乏しい腫瘍であるという原告らの主張は失当である。そして、前記三説示の事情に、<証拠>を合わせれば、(1)本件腫瘍は、側脳室内三角部付近に位置しており、脳と側脳室の構造から頭部の後方ないしは側後方を開頭しなければ本件腫瘍には到達できないこと、(2)このような場合一般的には頭部の後方の開頭が行われており、その場合の体位としては、座位(または半座位)、腹臥位、側臥位が考えられるが、そのうち側臥位を採用すれば、側頭葉の切開を必要とし、また本件腫瘍のような巨大な腫瘍で、その内側が視床部など脳幹部に付着している場合は、手術操作で最も細心の注意を要する部分が、脳腫瘍摘出の最終段階になるまで現われず、かつ、腫瘍への導入動脈に対して同様に腫瘍摘出の最終段階になるまで到達できないため、その処理が遅れ手術操作が危険であり、そのため、側臥位を採用することは一般的手術法とはいえないこと、(3)従つて、本件手術の手術体位は座位か腹臥位でなければならないが、そのうち腹臥位を採用すれば、空気塞栓が発生する危険性は少ない(アルビンらの論文(一九七八年発表)によると腹臥位の場合空気塞栓が発生する危険性は一〇パーセントとされている。)という利点があるが、反面静脈血圧が高く、静脈還流が妨げられるため、術中の出血量が多く、かつ出血した血流が側脳室前方へたれ込み手術操作が困難になる欠点があり、本件腫瘍のように出血性に富む腫瘍であり、かつその部位が側脳室である場合には必ずしも適当であるとはいえないこと、(4)これに対し、座位を採用すれば、術中の空気塞栓の危険性が他の体位より相対的に高い(アルビンらの論文(一九七八年発表)によると座位の場合空気塞栓が発生する危険性は二五パーセントであるとされている。)という欠点がある反面、静脈血圧を下げ、静脈還流を容易にして局所の血圧を下げ、術中の出血量を少なくでき、また、腫瘍及び腫瘍内に入つている血管を見易くすることにより、手術操作を容易かつ安全にする利点があり、結局本件腫瘍の出血性に富むという性格及び本件腫瘍が側脳室に位置することから、本件手術の場合座位ないし半座位を採用することが最良であると考えられること、以上のように認定判断することができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

そうすると、本件手術の場合座位を採用したことに適切を欠く点があつたとはいえず、むしろ座位を採用したことが最良であり、現に、座位を採用したために本件手術中の出血量は二〇〇ccにとどまつたと考えられるから、本件手術の手術体位に関する原告らの主張は理由がないというべきである。

2  次に、原告らは、本件担当医は、本件手術を、いつたん発生すれば、生命にとつてもきわめて危険な空気塞栓を高率で生じさせる座位で実施したのであるから、最も有効なドップラー法が作動しないかあるいは少なくとも有効に利用できない可能性がある以上、終末呼気炭酸ガス濃度の測定、肺動脈圧の測定を併用すべき注意義務があつたのにもかかわらず、これを怠り、その結果頻発する空気塞栓を見過し、多津子を死亡するに至らせた過失があり、また仮に本件担当医が終末呼気炭酸ガス濃度の測定、肺動脈圧の測定を採用しなかつたことを直ちに過失とはいえないとしても、終末呼気炭酸ガス濃度の測定、肺動脈圧を採用しない場合はドップラー法が有効に利用できる人的物的措置を講ずべき注意義務があつたにもかかわらず、本件担当医はこれを怠り、右措置を講じていないのであるから、いずれにせよ本件担当医に空気塞栓早期発見体制に関して過失があることは明らかであると主張する。

なるほど、前記二、四でみたとおり、本件手術は他の体位より空気塞栓の発生する危険性が高い座位で実施されており、かつ空気塞栓発生監視のため採用されたドップラー法は電気メスの使用により無線周波雑音干渉を受けるという欠点を有するうえ、本件手術に用いられた器械は、無線周波によつてきわめて短時間機械が作動を停止したり、発生音が非常に小さくなるようにする内部機構を備えた機械ではなく、本件手術中空気塞栓が発生したときにそれほど明確な反応を示さなかつたものであり、そして、終末呼気炭酸ガス濃度はその変化の度合により空気による肺塞栓の程度を推定しうるという利点を有しており、量的診断法として有用であり、また変化の持続時間から塞栓の持続時間が推定でき、七〇パーセント空気吸入排発試験によつて終末呼気炭酸ガス濃度が再び低下するようであれば、肺血管になお空気塞栓が残つている証拠となるものであり、また、肺動脈圧も空気塞栓量に比例して上昇するので、肺動脈圧を測定することは、空気塞栓の重症度の評価にも役立つものであり、これらの事情を合わせれば、本件手術の場合麻酔科医が実際に採用したモニター以外に終末呼気炭酸ガス濃度の測定や肺動脈圧の測定を採用した方が望ましかつたということが一応できる。

しかしながら、<証拠>によれば、現段階では終末呼気炭酸ガス濃度の測定・肺動脈圧の測定が空気塞栓を早期に発見するためのモニターとして不可欠なものであるとまで考えられておらず、またドップラー法について無線周波雑音干渉を受けにくいような内部機構が組み込まれた器機は、いまだ理想にはほど遠い状態であり、右機構を用いることが不可欠とはされていないことが認められ、本件手術の場合、前記のとおり、電気メスの使用により無線周波雑音干渉を受けるという欠点を有し、しかもその欠点を是正する内部機構が組み込まれた器械が用いられていないとはいえ、最も敏感な空気塞栓の検出方法であり質的診断面で最も優れているドップラー法を採用しているのを初め、水車音(食道聴診器、聴診器)、中心静脈圧、心電図、動脈圧(血圧)、血液ガスのモニタリングを行つているのであるから、空気塞栓の発見体制としてさらにより望ましいものがあつたことは否定できないものの、本件担当医の採用した空気塞栓の発見体制に遺漏があつたとまではいうことはできないというべきである。

もつとも、<証拠>には、終末呼気炭酸ガス濃度の低下は現在のところ早期の常に出現する、またときには唯一のサインともなりうる信頼性の高い診断法と考えられている旨の記載があり、終末呼気炭酸ガス濃度の測定を採用しなかつたことが本件担当医の過失である旨の原告らの主張に副うものであるかのごとくであるが、右記載も甲第八号証の全体を読むと、空気塞栓の発見方法として終末呼気炭酸ガス濃度の測定を重視していることは確かであるものの、それをどの場合にも必要不可欠のものとしているとまではみることはできず、また右記載が仮に終末呼気炭酸ガス濃度の測定をどの場合にも必要不可欠とする趣旨まで含むものとすれば、<証拠>に照らしてにわかに採用しがたい見解であると考えられ、いずれにせよ右記載も前記認定判断を左右するに足りるものではない。

従つて、本件担当医が、終末呼気炭酸ガス濃度の測定、肺動脈圧の測定を採用しておらず、しかもドップラー法について無線周波雑音干渉を受けにくいような内部機構が組み込まれた器械を用いていないことをもつて、直ちに空気塞栓の早期発見体制に関して本件担当医に過失があるとの結論を導くことはできず、この点に関する原告らの主張は理由がないというべきである。

3(一)  次に、原告らは、多津子の体内には昭和五五年一一月二〇日午後五時ないし六時ころから継続的に空気が流入していたのであるから、本件担当医は、この段階で直ちに笑気の投与を中止し、静脈圧迫などにより持続的に静脈圧を上昇させて空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈について電気凝固による止血を行うことを試み、同様に中心静脈カテーテルにより流入した空気を吸引排除すべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠り、午後七時三二分になつてようやく中心静脈カテーテルによつて空気の吸引を試み、それにより約二〇mlの空気が吸引されるまでの間、午後六時二七分にバッグ加圧を行い、心音を確認した以外は右の処置をとらなかつた過失があると主張する。

なるほど、前記四でみたとおり、本件担当医は、空気塞栓が発生すれば、骨切断部に骨ろうを塗り込み、術野を生理食塩水に浸すのみならず、バッグ加圧によりあるいは用手的に頸動脈に圧迫を加えることにより静脈圧を上昇させて空気流入源である破綻静脈を発見し、電気凝固により止血を行うべきであり、また笑気は空気泡内に移行し、空気塞栓の害を三倍以上に増大させるので、笑気の投与を中止し純酸素で過換気を加うべきであつたものであり、加えて鑑定人稲田豊の鑑定の結果によれば、一般に動脈血酸素ガス分圧が五〇ないし六〇mmHg以下では酸素療法は絶対適応とされており、麻酔薬投与、出血などにより心拍出量が減少し、ひいては組織への酸素供給量が減少する危険が常時ある手術中には余裕をみて少なくとも一〇〇mmHg、できればもう少し高い動脈血の酸素ガス分圧を維持するのが安全であり、かつ臨床麻酔において一般に守られている原則であることが認められ、さらに前記五でみたとおり、本件手術の場合には午後五時以降かなりの頻度で空気塞栓が発生していることが確実であり、動脈血の酸素ガス分圧も八二・四ないし六四・九mmHgという比較的低値を示していたのであり、また鑑定人稲田豊の鑑定の結果によれば、笑気の投与を中止すれば、麻酔は浅くなるが、本件手術中に投与されているドロレプタン(一般名ドロペリドール)、ソセゴンかペンタジン(ともに一般名はペンタゾミン)のほか、ハロセンやエンフルレンのような揮発性吸入麻酔薬(本件手術中空気塞栓のエピソードが起こつていない間欠期には、血圧が一二〇mmHgと一六〇mmHgの間を上下しているので、低濃度ないし中等濃度の吸入麻酔薬は使用してもさしつかえない。)、バルビツレート(バルビツレートの中でも特にチオペンタールは虚血から脳を保護する作用があるといわれており、循環抑制に注意しさえすれば好適な麻酔薬である。)、フェンタニールなどをうまく使えば適正な深さの麻酔を維持できたこと、また患者の不動化は本件手術で用いられているパンクロニウムのような筋弛緩薬を必要にして十分な量投与すればその目的は達成されることが認められる(証人稲森耕平の証言中右認定に反する部分は右鑑定の結果に照らしてとうてい措信することはできない。)ところであり、これらのことからすれば本件担当医は、既に、午後五時以降午後七時三二分までの段階で、笑気の投与を中止し、バッグ加圧によりあるいは用手的に頸動脈に圧迫を加えることにより静脈圧を上昇させて空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈について電気凝固による止血を行うことを試み、同時に中心静脈カテーテルにより血液の吸引を試みるべきであつたといえるかもしれない。しかしながら、同時に、前記のとおり、本件担当医は、体位変換、麻酔薬、出血、脳幹、脳神経近傍の手術操作などの原因がなんら存在しないのに血圧が急激に低下した午前一一時一五分、午後零時四五分、同四時二〇分ころ中心静脈カテーテルにより血液の吸引を試みたがいずれも空気は吸引されず、午後五時以降午後七時三二分までの段階では確かに午後五時一〇分、同五時二五分に血圧の低下がみられるもののそれもそれほど急激なものではなく、血圧はある程度安定していたとみられるのであり、動脈血の酸素ガス分圧も、右のとおり比較的低値を示しているが、決してきわめて低値というほどのものではなく、動脈血の炭酸ガス分圧も上昇しているがそれほど顕著ではなく、他に特に空気塞栓の発生を疑わせる顕著な徴候が存在しなかつたのであつて、これらによれば、前記二でみたとおり本件担当医が、午後五時以降午後七時三二分に現実に中心静脈カテーテルにより空気が吸引されるまで空気塞栓の発生を認識せず、笑気の投与を中止せず、バッグ加圧によりあるいは用手的に頸動脈に圧迫を加えることにより静脈圧を上昇させて空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈に対し電気凝固による止血を行うことを試みなかつたり、中心静脈カテーテルにより血液の吸引を試みなかつたこともなおやむを得ないところがあるものというべきであり、右の点に本件担当医に過失があつたとまで断定することはできない(結果論的にいえば、本件担当医の処置には妥当を欠く点があつたと評価すべきかもしれないが、それ以上に過失の存在を断定するまでには至らない。)従つて、被告の右主張は理由がない。

(二)  次に、原告らは、本件担当医は、同日午後七時三〇分ころ、血圧の急激な低下、心電図の変化、中心静脈カテーテルによつて現実に空気が吸引されたことにより、空気塞栓の発生を発見したのであるから、笑気の投与を中止し、静脈圧迫などにより静脈圧を上昇させて空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈について電気凝固により止血を行うことを試みるべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠り、一時的に約一三分間笑気の投与を中止したにすぎず、また麻酔科医は、脳外科医に対し、空気流入口を発見し、これをふさぐように指示したにもかかわらず、脳外科医は、漫然と従前と同様に術野に生理食塩水をかけただけで手術をそのまま続行し、そのため多津子の体内に空気を流入させ続けた過失があり、さらに午後八時四五分に再度中心静脈カテーテルにより空気が吸引されたことにより空気塞栓の発生はもはや疑問の余地がないものとなつたのであるから、本件担当医は従前にもまして、バッグ加圧によりあるいは用手的に頸動脈に圧迫を加えることにより静脈圧を上昇させて空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈に対し電気凝固による止血を行うことを試み、かつ笑気の投与も中止するべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠り、ただ漫然と術野に生理食塩水をかけたにすぎず、笑気の投与を全く中止しなかつた過失があると主張する。

前記二でみたとおり、昭和五五年五月二〇日午後七時三二分になり中心静脈カテーテルから空気が吸引されたことから、空気塞栓の発生は明白になり、しかもその直近の午後七時における動脈血の酸素ガス分圧は六四・九mmHgという低値を示していたのであるから、右(一)で説示したごとく、本件担当医は、この時点でバッグ加圧によりあるいは用手的に頸動脈に圧迫を加えることにより静脈圧を上昇させて空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈に対し電気凝固による止血を行うことを試みるべきであり、かつ笑気の投与も中止すべきであつたということができ、また、前記二でみたとおり本件担当医がバッグ加圧によりあるいは用手的に頸動脈を圧迫することにより静脈圧を上昇させて空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈に対し電気凝固による止血を行うことを試みず、笑気の投与も約一三分間一時的に中止しただけで再開したことは、本件担当医の過失であるということができる。

まして、前述したように、同日午後八時四五分に第二回目に空気が吸引された時点では、空気塞栓の発生は疑問の余地がないものとなつたのであるから、本件担当医がバッグ加圧によりあるいは用手的に頸動脈に圧迫を加えることにより静脈圧を上昇させて空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈に対し電気凝固による止血を行うことを試みず、しかも笑気の投与も全く中止しなかつたことが本件担当医の過失にあたることはより明白であるというべきである。

(三)  次に、原告らは、本件腫瘍の摘出を終えて閉頭過程に入つた前同日午後一一時ごろにおいて、既にそれまでに空気塞栓が発生しており、かつ閉頭時には空気塞栓が最も発生しやすいのであるから、本件担当医は、右閉頭過程に入る前に体位を変換する注意義務があつたのにもかかわらず、これを怠り、座位のまま閉頭過程に入つた過失があると主張する。

なるほど、前記二、四、五でみたとおり、もともと本件手術は他の体位より空気塞栓が発生する可能性が高い座位で実施されており、しかも現に本件手術中閉頭過程に入る前から空気塞栓が頻発しているうえ、証人太田富雄の証言によれば、閉頭時は一般的には空気が体内に流入しやすいことが認められるが、しかし他方、証人太田富雄、同川北慎一郎の各証言及び鑑定人稲田豊の鑑定の結果によれば、本件手術中体位を変換することは手術用具を固定し直さなければならないのでかなり困難であるため、右体位変換は、心停止に至るような大量の空気塞栓が発生するというきわめて異常事態の場合を除き、原則的には行われないのであることが認められ、本件手術の場合、前記二、五でみたとおり、開頭過程に入るまでは心停止に至るような大量の空気塞栓は発生していないのであるから、本件担当医が開頭過程に入るにあたつて体位を変換しておくべき注意義務はないというべく、この点に関する原告らの主張は理由がない。

(四)  次に、原告らは、同日午後一一時一五分に動脈血の酸素ガス分圧などが著しく悪化したのであるから、本件担当医は、この時点で直ちにバッグ加圧によりあるいは用手的に頸動脈に圧迫を加えることにより空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈に電気凝固による止血を行うことを試み、かつ笑気の投与を中止するべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠り、右止血に至る一連の処置をとらず、かつ笑気の投与も中止しなかつた過失があると主張する。

既に右(二)でみたとおり、昭和五五年一一月二〇日午後一一時一五分までに中心静脈カテーテルにより二回空気が吸引され、空気塞栓の発生が明確になつており、そして動脈血の酸素ガス分圧が同日午後一〇時一〇分には七六・二mmHgであつたのが、午後一一時一五分には五六・一mmHgに急激に悪化しており、また動脈血の炭酸ガス分圧も、午後一〇時一〇分には七六・二mmHgであつたのが午後一一時一五分には四八・二mmHgと急激に悪化したのであるから、本件担当医は、午後一一時一五分の段階で直ちにバッグ加圧によりあるいは用手的に頸動脈に圧迫を加えることにより空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈に対し電気凝固による止血を行うことを試みるべきであつたし、かつ笑気の投与も中止すべきであつたということができ、前記二でみたとおり本件担当医がこれらの措置を採らなかつたことは本件担当医の過失であるということができる。

(五)  次に、原告らは、本件担当医は、多津子が一回目の心停止から回復したさい、空気塞栓の悪影響をさらに増悪させる有害無益な笑気の投与を再開してはならない注意義務があつたにもかかわらず、これを怠り、笑気の投与を再開し、空気塞栓の悪影響をさらに増大させ、ついに多津子を死亡するに至らせた過失があると主張する。

前記二でみたとおり、本件担当医は、昭和五五年一一月二〇日午後一一時二五分に笑気の投与を中止したが、多津子が一回目の心停止から回復した後笑気の投与を再開した。

前記五でみたとおり、大量の空気塞栓が右心停止の原因であり、かつ鑑定人稲田豊の鑑定の結果によれば、仮に笑気の投与を再開した時点で空気がなお残存していれば、笑気の投与を再開することはその悪影響を増大させることになり、また本件手術の場合低酸素血症が先行し、心臓静止の時期を含め一五分間二〇mmHg以下の低血圧が続いていることにより、心蘇生後も数時間あるいはそれ以上の長時間脳機能が失われているため、八〇ないし一〇〇パーセントの酸素を用いて過換気(動脈血の酸素ガス分圧を二五ないし三〇mmHgにする)を行い、平均血圧を九〇ないし一〇〇mmHgに維持することが重要であり、笑気のような麻酔薬を投与する必要は全くないことが認められるので、本件担当医が多津子が心停止から回復した後笑気の投与を再開したことは、本件担当医の過失であるということができる。

4  次に、原告らは、本件担当医が多津子及びその家族である原告らに対し、本件手術について説明しなかつた過失(説明義務違反)があると主張する。

一般に医師は、患者に対して手術などの侵襲を加えるなどその過程及び予後において一定の蓋然性をもつて生命身体などに重大な結果を招くことが予想される医療行為を行う場合は、当該患者ないしその家族に対し、病状、治療方法の内容及び必要性、発生の予想される危険などについて、当時の医療水準に照らし相当と考えられる事項を説明し、当該患者がその必要性や危険性を十分比較考量のうえ右医療行為を受けるか否かを決定することを可能ならしめる義務があるものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、前記二でみたとおり、多津子の主治医である川北医師は、多津子の夫である原告一男に対し、本件手術の前日、本件腫瘍は良性のものであるが、非常に深い場所にあつて大きさも相当大きく出血性に富む脳腫瘍であると説明したうえで、本件手術の危険性について、特に空気塞栓をとりあげて説明したわけではないが、本件手術によつてその症状が悪くなることもあり、また本件手術によつて心臓が悪くなつたり肺が悪くなつたりして手術中あるいは手術直後に死亡する可能性も絶対にないわけではない旨説明し、本件手術中の体位についても特に強調したわけではないが座位を採用すること自体は説明し、また多津子も本件手術が多津子の体内の脳腫瘍摘出手術であることは川北医師などから説明され、認識していたのであるから、川北医師は、多津子の夫である近藤一男に対し、本件腫瘍の性格、本件手術の危険性について少なくとも必要最少限度の説明を行つたとみるべきである。そして、前記三でみたとおり、本件腫瘍による生命に対する切迫した危険が存在した本件においては、本件手術にある程度時間的緊急性があつたというべきであり、また、証人太田富雄、同川北慎一郎の各証言によれば、いずれの病院で治療を受けたとしても死を避けるため外科的摘出手術を必須とするものであることも認められる。

以上の事実に、現在のわが国の医療においては、手術の危険性を患者本人には告知せず、その家族に告知することがしばしばみられるのが実情であることは公知の事実であり、本件全証拠によれば、本件手術の場合も、患者本人である多津子に直接本件手術の危険性を説明することが、多津子に無用の不安感を与え、死を避けるために不可欠である本件手術自体まで拒否される事態も考えられなくはないことが窺われることを考え合わせると、患者自身に手術を受けるか否かについて最終的に決定させるべきであることを強調すれば、本件担当医が患者本人である多津子自身に本件手術の危険性について十分な説明をしなかつたことは確かに妥当ではなかつたとまではいえるものの、これをもつて本件担当医の過失であるとはとうていいえないというべきである。結局本件担当医に本件手術についての説明義務をつくさなかつた過失はないことになる。

もつとも、原告らは、本件担当医は、空気塞栓の危険性、さらに本件手術は他の体位(側臥位、腹臥位)でも可能であるがあえて座位で実施する必要性についても、多津子及びその家族である原告らに対して説明すべきであつた旨主張する。

しかしながら、患者に手術を受けるか否かを最終的に決定させるためには、当該手術の生命身体に対する危険性自体を説明すればよく、どういう機序でその危険性が発現するかまでは説明する必要がなく、また医学的知識の十分でない患者に右機序を説明して理解を得ることが困難であつてかえつて無用の誤解を招く危険があるから、本件手術の場合に本件担当医が空気塞栓の危険性を説明しなかつたことをもつて、本件担当医の過失であるということはできず、さらに本件手術をどのような体位で実施するかは相当高度な医学的判断に基づく医師の裁量行為であつて、原則としてその体位を採用する理由まで逐一患者ないしその家族に対して説明する義務はなく、まして本件手術の場合は、前記1で判断したとおり、座位を採用することが最良であつたのであるから、本件手術を座位で実施する理由や必要性を多津子及びその家族である原告らに対して説明する義務まではないというべきである。従つて、この点に関する原告らの主張は理由がない。

そうすると、本件担当医に本件手術について説明をつくさなかつた過失(説明義務違反)がある旨の原告らの主張は結局理由がないというべきである。

以上の次第で、本件担当医には、(一)昭和五五年一一月二〇日午後七時三二分の段階で、バッグ加圧によりあるいは用手的に頸動脈に圧迫を加えることにより静脈圧を上昇させて空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈に対し電気凝固による止血を行うことを試みず、かつ笑気の投与も約一三分間中止しただけで再開したこと(以下「1の過失」という。)、(二)同八時四五分の段階で、バッグ加圧によりあるいは用手的に頸動脈を圧迫を加えることにより静脈圧に上昇させて空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈に対し電気凝固による止血を行うことを試みず、かつ笑気の投与も中止しなかつたこと(以下「2の過失」という。)、(三)午後一一時一五分の段階で、バッグ加圧によりあるいは用手的に頸動脈に圧迫を加えることにより静脈圧を上昇させて空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈に対し電気凝固による止血を行うことを試みず、かつ笑気の投与も中止しなかつたこと(以下「3の過失」という。)、(四)多津子が第一回目の心停止から回復したさい笑気の投与を再開したこと(以下「4の過失」という。)、以上の点につき過失が存在したものというべきである。

七そこで、本件担当医の右過失と多津子の死亡との間の因果関係の有無について判断する。

1 まず、昭和五五年一一月二〇日午後七時三二分、同八時四五分、同一一時一五分の各段階で、空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈に対し電気凝固による止血を行うことを試みなかつたこと(1の過失、2の過失、3の過失)と多津子の死亡との間の因果関係について判断すると、鑑定人稲田豊の鑑定の結果によれば、アルビンらは空気塞栓のエピソードの約半数しか空気流入源である破綻静脈を発見できなかつたと報告していることが認められ、特に本件の場合に本件担当医が右のように空気流入源である破綻静脈を発見しようと試みれば確実に発見しえたことを首肯させるに足る事情は本件全証拠によつてもこれを認めることができない。要するに、本件担当医がバッグ加圧によりあるいは用手的に頸動脈に圧迫を加えることにより静脈圧を上昇させて空気流入源である破綻静脈を発見し、右破綻静脈に対し電気凝固による止血を行うことを試みていれば、多津子の死を避けえたと認めることができないので、本件担当医が右試みをしなかつたことと多津子の死亡との間の因果関係を肯認することができないというほかない。

2 次に、本件担当医が右午後七時三二分の段階で笑気の投与を約一三分間中止しただけで再開したこと、及び右午後八時四五分、同一一時一五分の各段階で笑気の投与を全く中止しなかつたこと(1の過失、2の過失、3の過失)と多津子の死亡との因果関係について判断すると、本件全証拠によつても、右各段階で笑気の投与を中止し、純酸素を投与していれば、多津子の死を避けえたと認めることはできず、かえつて、鑑定人稲田豊の鑑定の結果によれば、右各段階で笑気の投与を中止し、純酸素を投与していれば、昭和五五年一一月二〇日午後一一時三〇分ころに発生した最終の空気塞栓の悪影響が本件の場合ほど大きくならず、心停止に至らなかつたであろうと考えるべき根拠は存在しないことが認められるので、本件担当医の前記行為と多津子の死亡との間の因果関係もこれまた認めることはできないといわざるを得ない。

3 次に、多津子が一回目の心停止から回復したさい本件担当医が笑気の投与を再開したこと(4の過失)と多津子の死亡との間の因果関係について判断すると、本件全証拠によつても、右笑気の投与を再開しなければ、多津子の死を避けえたと認めることはできず、かえつて、鑑定人稲田豊の鑑定の結果によれば、中心静脈圧は、右笑気投与再開後一四mmHgであり、心蘇生後の一七mmHgに比して下がつているので、笑気の投与の再開が、多津子の死に全くあるいは少なくともほとんど関与していないことが認められるので、右笑気の投与を再開したことと多津子の死亡との間の因果関係も認めることはできないといわざるを得ない。

4  そうすると、本件担当医には、前記六で判示した過失(注意義務違反)が認められるものの、右各過失(注意義務違反)と多津子の死亡との間の因果関係をいずれも認めることができず、従つて、本件担当医が被告の履行補助者として不完全な履行をなしもしくは被告の被用者として過失のある診療行為をなし、かつ右不完全な履行もしくは過失のある診療行為と多津子の死亡との間に因果関係が存在することを前提とする原告らの主張はいずれも理由がないというほかない。

八結論

以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく原告らの本訴請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官岨野悌介 裁判官中村也寸志 裁判官本間榮一は、転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官岨野悌介)

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